組織として、集団で人と協力して何かに取り組んでいるときに、避けられないものが、 「 悪口 」 との付き合い方だと思っています。
僕自身、人の悪口を一切言わないという人間ではないので、今回はその視点から、 「 人はなぜ悪口を言ってしまうのか 」 についての話を書きたいと思います。
「 悪口 」 がよくないということは、僕もわかっていますし、もちろん言いたいとも思っていません。
でも、たとえば仕事をしていると、特定の人に迷惑をかけられるという状況が、少なからずあって。
そういうときはどうしても 、「 不満 」 や 「 愚痴 」 というかたちで、同じように迷惑をかけられている人と共有したくなってしまうのですね。
「 あの人のミスで大変だったよね 」 だとか、 「 迷惑をかけといて謝りもしないんだよ。困るよねー。 」 みたいな。
だいたいは、「 まあ、あの人も大変かもしれないし、仕方ないね 」 なんて言って、話は終わりますが、人の不満を口に出している時点で、それはもう 「 悪口 」 になってしまいます。
で、誰かの愚痴や不満が出る瞬間って、その人から受けた被害が、 「 理不尽だ 」 と感じたときだと思うのです。
つまり、 「 人はなぜ悪口を言うのか 」 の答えは、 理不尽を人と共有したくなる理由について考えれば、おのずと見えてくる気がします。
人は、偶然や、理由が分からない被害に対して 「 理不尽だ 」 と感じます。
「 なぜ私がこんな目に合わないといけない? 」
理不尽な被害や偶然の事故って、
心の中のどこにも置き場所がなくて、床に置き去りにされた荷物みたいに、いつまでも整理ができないのですね。だから納得もできません。
ではどうすれば、納得できるのでしょうか。
結論から言うと、これは僕の感覚ですが、 その被害を 「 物語 」 にして 「 共有 」 することだと思うのです。
人は昔から、理由の分からない被害に対して、 それを「 物語( 神話・怪談 ) 」 にして、 「 共有 」 することで納得してきました。
たとえば地震は神さまの怒り、疫病は祟り、雷は神様の太鼓の音。
夜の物音や、行方不明は妖怪のしわざ。
そんなふうに、理解を超えた出来事に理由をつけて、心の整理をしていたのかもしれません。
スケールは違いますが、誰かから受けた理不尽な被害も、 「 あの人は仕事ができないから = ミスばかりする 」 、 「 あの人は配慮ができない人だから = 謝れない 」 と物語にして、他の人と共有できれば、心の中の本棚にしまっておけます。そうすれば案外、納得できたりするのですね。
「 不満 」 や 「 愚痴 」 という形で、思わず 「 悪口 」 を言ってしまうのは、その人から受けた納得できない被害というものを、納得できるようにするためのもの。
「 わからないこと 」 や 「 混乱すること 」 を避けるために、人と共有したくなるのです。
「 悪口 」 というものは、もちろん言わないに越したことはありません。でも個人的な意見として、 「 愚痴 」 や 「 不満 」 を口にする自分に対して、そこまで罪悪感を抱く必要はないと思っています。
それは、あなた自身が、 「 あなたに対して優しくできている証拠 」 でもあるのだから。
ちなみにですが、これまで書いてきた原理を知っていれば、 「 物語 」 を人に話さなくても納得できるようになったりします。
人と 「 共有する 」 と説得力はたしかに強化されますが、それに頼らずとも、自分で 「 迷惑をかけてきたあの人の、バックグラウンドストーリー 」 なんかを考えてみると、ちょっと面白くなって怒りがおさまるかもしれませんよ。
でも、もしもそんなレベルじゃないストレスを感じたときには、自分を守るために、 「 その人を傷つけない範囲 」 で、誰かと共有するのもよいと思っています。





