僕は、お腹が空いていると、必要以上に料理を作ったり、注文したくなってしまいます。
たとえば、以前レストランで提供されたミートパスタが、120g程度だったのですね。120gって普通の1人前なので、お店に対して不満はないのですが、注文した自分に対して 「 本当にこの量の注文でよかったのか 」 と不安を抱いてしまいました。
普段、自宅でパスタを作るとき、乾麺300g分を1食で食べるので 「 こんな量で足りる訳がない 」 、 「 この量では3、4口でなくなってしまう。」と考えていましたが、いざ120gパスタを食べてしばらく経つと、 「 あれ、思ったよりお腹が満たされてきたぞ? 」 と満足することも多かったのです。
つまり 「 空腹時に食べたい量 = 見積り 」 と 「 実際に満足する量 」 にズレが生じている。
このことから僕は、食欲が強いというより、自分の満足の見積りが甘いだけではないか、という考えに至りました。
欲と聞くと思い出されるのは、 「 花咲かじいさん 」 です。お話の中で、意地悪なじいさんはお金に目が眩み、犬を傷つけ、空回りして、最終的には不幸になります。
「 花咲かじいさん 」 に限らずですが、だいたいどんなおとぎ話でも、悪役は強欲であり、最後は破滅するのです。でも、もしかしたら、あの意地悪じいさんも、 「 どこまであれば、自分が満足できるのか 」 を知らなかっただけなのかもしれません。
また、古代中国の思想家である老子は、 「 自分にとって十分を知っている者こそ、豊かである 」 という意味で 「 足るを知る者は富む 」 という言葉を残しました。
これまで、僕はこの言葉を 「 現状に満足することは大事」みたいな意味だと、解釈していました。「辛いことはあったけど、いいこともたくさんあったじゃないか」とか、「どうしても欲しいアレは手に入っていないけれど、自分はすでにたくさんのものを持っているじゃないか」というように、「ない」よりも 「 ある」に目を向けることが大切だ、というように。
でもきっと、 「 今、手元にない欲しい物が、仮にどれくらいあれば自分は満足できるのか知ること」こそ、 「 足るを知る 」 の本質なのではないかと思ったのです。
そう考えると、すべてが少なく見えてしまう 「 欲 」 という曇ったレンズ越しに、自分が満足できる量を見極める 「 足るを知る 」 ことの何と難しいことでしょうか。
ここまで長々と 「 欲 」 について語ってきましたが、僕は 「 自分が満足できる量が分からないからこそ、人生っておもしろい! 」 と思うのですね。
自分の一生涯で、たとえば、2億8894万7538円のお金を使ってから死ねば、 「 死ぬときに満足できる 」 と分かったとします。それより1円でも多く稼いだら、それは無駄でしょうか?
いや、そんなことはないはずです。
自分の満足できる量が分からず、右往左往するのも人生の醍醐味だと考えています。
だからこれからも僕は、 「 自分がどれくらいで満足できるのか 」 について、少しだけ見当違いな予想をしながら、楽しく生きて行くのだと思います。





